2015年1月29日木曜日

2015年ベスト1が、九井諒子の「ダンジョン飯」ですでに決まってしまった件

読みました? ダンジョン飯。



もう最高じゃないですか。2015年ベストですよ。
よほどのことがない限り、これは揺るがないんじゃないかと思っています。
(内心では、動かされることを期待してもいますが)

今回はちょっと長くなりますが、本作品の魅力について
好きに語らせていただきたいと思います。

最終的な結論は一番上の四行なので、下は蛇足です。
バジリスクの頭です。



九井諒子のこれまでの作品を読んできて、
すごくすごーくうまいなーと思ってしまったのは、リアリティラインの引き方です。
リアリティラインというのは、要するに「ウソくささ」と言っても良いかも。

このラインコントロールの巧みさに、我々はついつい九井諒子ワールドに
引き寄せられ、取り込まれて魅了されてしまうのです。

もちろん創作物はつくりもの、全部ウソなわけですが、そのへんは見る側・読む側も
織り込み済みで、さあこの作品はどうやって僕らをだましてくれるんだろう? と
ワクワクしながら望むわけですよ。で、期待通りだったりそうじゃなかったりすると。



本作はタイトルからして「ダンジョン飯」。出オチ感が半端ない。
ふんふんなるほどね。ダンジョンでモンスターを飯にするグルメマンガかな?
なんていう期待に胸を膨らませて本を開いてみるわけです。




すると、いきなりダンジョンに挑戦中のパーティがドラゴンにやられて全滅。
ドラゴンに食べられてしまったらしい主人公の妹を除いて、全員一文無しで
ダンジョンの外に放り出されるところから始まります。

助かってしまった主人公は、妹を助けに(蘇生させに)行きたい。
わかりやすい動機付けが読者に提示されます。

さらにここで、ファンタジー作品等に慣れ親しんでいる読者なら、
なるほど魔法あり・蘇生ありの世界観なんだなと理解できます。
(しかもウンコから蘇生とか言ってるので、わりとゆるいノリだなということも分かります)

でもその後、主人公は自分たちに何も残されていないことに気づきます。



装備なし・金なし・食料なしの八方ふさがり。メシを食わなきゃ
人は生きていけない。このあたりでリアリティの壁が見え隠れし始めます。

そして主人公は一大決心。



倒したモンスターを調理して食いながらダンジョンの最奥部を目指そう!
などと言い出します。当然、パーティの仲間は大反対。



反対をおしてそのあとすぐ、オオサソリを倒して強引に煮て食ってみようとする
主人公でしたがゲキマズでゲロゲロ状態に……


しかしその後、どこからともなく現れたドワーフ族の男が、
オオサソリの正しい調理法を主人公たちの前で披露し、
あっというまにモンスターをおいしい鍋に変えてしまいます。

恐る恐る仲間もこれに口をつけ、意外な美味に驚きますが、
心理的な抵抗は消えず……

これです。これが実にうまい!
いやオオサソリは、ただ煮て食ったらまずいんでしょうけど。
(それにしてもこのエルフ娘のリアクションはいちいちかわいい)

「モンスターを調理して食うこと」自体は、このゆるいファンタジー世界の中にあっても
異端であり異常な行為であると仲間の反応を通して語っているわけです。

この対立構図がないと、たんなるゲテモノ食いバスターズになってしまいます。
だからこそ、目次という名のお品書きの最後にある「動く鎧」という項目に、
えっそれ食べるの、どうやって!? と心惹かれることになるのではないでしょうか。
(解決法は見事なものです。あとは読んでのお楽しみ)



またこの作者ならではといえるディティールの細かさが、世界に深みを与えてくれて、
「この世界のリアル」が読む側の脳内でどんどん積み上がっていきます。

ダンジョンが存在する理由も何かあるようですし、モンスターにはそれぞれ生態がある。
そしてこれらを「正しく調理」してこそ、初めて人が食べ得るものになる。
現実でも同じですよね。じゃがいも一つとっても、ちゃんと調理しないと単なる毒です。

本作品に欠点があるとしたら、まだ2巻が出ていないということでしょうか。
1巻を読み終わったら、この面白く魅力的な世界観から脱却しなければならないのです。
そんな、耐えられない! 早く2巻を、2巻を食べさせてくれえ!

といったところで、本日はこのへんで。
長文失礼いたしました。




ちなみに2015年のベスト1が「ダンジョン飯」なら2014年のベストは何なんだ、と問われれば
やはり「魔法使いの嫁」と応えるでしょう。

どうもファンタジーものに弱いのかな。